新規企画「あいうえお」作文 第7回❣

介護福祉学科の山田です。今回は、最終回(第7回)は、介護福祉士の「かいごふくし」の「」です。「し」、「大阪(大坂藩・高槻藩・岸和田藩等)」、筆者の地元「鹿児島(薩摩)」を結びつけました。士族の「し」です。大辞林によれば、「士族は、①武士の家柄、②1869年(明治2)年の廃藩置県に伴い旧武士に与えられた身分の呼称。華族と異なり、何ら法律上の特典はなかった(1988ː1198)」としています。そのため、士族の反乱も起き、明治政府は、沈静化させるのに苦労していたことが容易に想像されます。

さて、その中にあって大阪とご縁あるのは、五代友厚氏(幼名才助、天保年~明治18年、享年五十一歳)です。父は、儒官で町奉行を兼ねし五代直左衛門秀堯、母本田やす子の次男と生まれます。慶応元年(三十一歳)で新納刑部(にいなぎょうぶ、現在の伊佐市の新納当主)等と十四名の留学生を率い欧州大陸視察(2016:178)に出かけます。この欧州視察は、紡績関係を中心に学びにいったと言えます。そして、明治元年(三十四歳)に参与となり、企画・経営に関する業務に携わることになります。同年九月十九日には、大阪府判事となり、明治二年(三十五歳)軍艦御買上御用掛兼勤となります。されに、五月二十四日大阪為替会社、通商会社の設立を策し、明治十一年(四十四歳)に、大阪株式取引所(大阪堂島)を創設するに至ります。

   

私は、今回、五代友厚氏の銅像を見上げて美しいと感じ、畏怖の念を頂きました。あの混乱期に、他国に学び、日本の発展、大阪の商工業の発展に汗を流された先人に深く感謝するしかないです。

   

さて、お題の「し」に戻ると、同じ「士族(しぞく)」であっても考え方、行動は、異なったということです。今、まさに、介護福祉士、介護業界も過渡期を迎えており、ある意味では、明治期と同じです。私たちに問われているのは、見聞を広げ、自由な発想を持ち、かつ、エビデンス(根拠)ある介護・EBP(Evidence-Based-Practice)を重視し、クライエント(利用者)の思いを受け止め、協働型支援・伴奏型支援を行うことが求められています。「し」は、心理・真理・信念につながります。学生・福祉職の皆さん、信念に基づき、クライエントの心理を受け止め、実践を重ねながら、ともに実践学としての「介護福祉学」「社会福祉学」の真理追究をしていきましょう。次のブログのバトンは、「うみ」の綺麗な町で生誕されたI先生にバトンをお渡しします。お題は、「うみ」です。どんな景色が広がるかが、楽しみですね!(^^)!こうご期待❣

文献

松村明編(1988)『大辞林』三省堂.

小田作之助(2016)『五代友厚』河出書房新社.