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連載テーマ「生活」:子ども時代の生活

子どもの頃、私の実家は銭湯を営んでおりました。
材木や燃料を使って湯温の管理をする部屋を 「窯場(かまば)」と呼びます。
夏はとても暑くて、子どもはものの5分もいられませんが
その反対に冬はぽかぽかと温かくよく野良猫がボイラーの上で
伸びきって寝ていました。

末っ子の私はいつも祖母の後ろをついてまわるおばあちゃん子でした。
兄姉が出かけたあと、まず祖母が向かうのはシーンとした真っ暗な「窯場」です。
窯の大きくて黒い鉄の扉を開けて 中の不要物をきれいに掃除します。
大きな口を開けたような真っ暗な洞窟の窯の中に 腰の曲がった祖母は
少し上半身を入れながら 細めの材木を幾本も組み合わせて積んでいきます。
子どもの私はいつもその祖母の後ろ姿に 「おばあちゃんがヒューって吸い込まれたらどうしよう・・・」 とドキドキしながら眺めていたのをよく覚えています。
材木を重ね合わせたら、新聞紙に火をつけて火入れを行います。
深夜まで働く両親の代わりに、朝一番の火入れは祖母の役割でした。
祖母がつけた火を父が深夜まで見守りつつ、 温度を見ながら材木を入れたり火力を調節したり・・・・ 暑さと大きな機械の音、重なるラジオの音がふとよみがえります

大人になって観たジブリ映画『千と千尋の神隠し』に出てくる「かま爺」はまるで私の父、そのもので「お父さんやん!」と笑いました。 (見た目もよく似ています。あ、手足の本数は、かま爺ほど多くはありませんが)

1976 年大阪府下に 2326 件あった公衆浴場は、2021 年では449 件まで減っているそうです。(2022 年大阪府発表)
最近も近所の銭湯が閉業や休業の張り紙を目にしたり、 どんどん「子ども時代の生活」の景色が無くなることに寂しさを感じております。

ブログ連載テーマ「生活」 「生活の達人」 

ブログ 「生活の達人」

以前勤めていた大学でも、介護福祉士の養成に携わっていました。その時の同僚の先生のお話しから始めさせてください。

 

同僚といっても、大大大先輩です。その方は、看護師からスタート、養護教諭、結核病院の総婦長、特別養護老人ホームの施設長を歴任されて大学に来られた方です。当然のように厳しかったですが(恥ずかしながら、よく泣きました)、本当にいろいろ教わりました。

なかでもタイトルにあげた「生活の達人」という言葉が印象に残っています。これは、介護福祉士が目指すべきものとしてよくおっしゃってました。

ご存じのように介護福祉士は利用者の生活を支援するのが仕事です。支援する以上、介護福祉士自身が生活について良く分かっていないと、あるいは良くできないと支援などできないという趣旨だったと思います。

そのため、学生のみならず、教員に対しても、生活の細やかなやり方についていつも伝授されていました。先生にお会いしてから約20年になりますが、洋服すら満足に畳めません。残念ながら、先生の言われていた生活の達人にはほど遠い有り様です。

しかしながら、違うアプローチで「生活の達人」になれないか?実は、少しつかみかけています。前置きが長くなりましたが、今回は、そのことをお伝えしたいと思います。

唐突ですが、人生で、困難を感じたり、行き詰まりを感じたことはありませんか?

困難や行き詰まりを感じている時、人は“堂々巡り”をしています。どうしてこんなことになったんだろう。それは自分がダメだったからだ。自分がダメだったからこんなことになったんだ。と。

ネガティブに物事を考える癖のある人なら、犯人、原因探しに躍起になります。でも、犯人や原因を探すことがメインになりがちで、判明してもそれを変えていこう!とはなりにくいです。

そこで、考える癖を少し変えてみましょう。癖を変えるのは難しいので、困難や行き詰まりを感じるような出来事があった時に、

「この出来事は、自分に何を学ばそうと(得させようと)しているのか?」

と、質問してみて下さい。ただそれだけです。無理やり答えを出す必要はありませんし、起こった出来事を嘆き悲しんではいけないということもありません。ただそう問うだけです。

その問いは、心のどこかに引っかかり、質問時には答えが出なくても、無意識に答えを考えるのです。そして、ふとした拍子に答えが出てきます。(特にリラックスしているとき)

その結果、困難や行き詰まりは、どうしようもないものではなくなるのです。

実際、前の職場で自分の学科を廃止することが決まったとき、自分に質問をしました。その結果、クビになるかもしれない。そうなったら、家族を路頭に迷わせることになったしまう、どうしよう。

とはならずに、「自分は今から何を学ぶのか、何が始まるのか」と考えることができ、部署の廃止というピンチにあっても、精神的に健康でいることができました。

その結果、その一年後に声がかかり、大学教授から保育園の園長に転身することになったのです。園長として子どもたちと楽しく2年間過ごした後、東大阪大学に来ました。

馬込流の「生活の達人」になる方法をお伝えしました。これからも「生活の達人」を目指すべく研究を続けていきたいと思います。

新年度❣第一弾企画『学び』第1回「生活」

皆さん こんにちは 介護福祉学科教員の山田です。今回のテーマは,「生活」です。

大辞林によれば,「生活」を「①暮らしていること、暮らしていくこと②暮らしをささえるもの(松村、1988ː1369)」としています。私たちの暮らしは,起き上がる,顔を洗う,友と語らうといったことの積み重ねが,時間とともに,その暮らし(生活)が人生へと繋がっていきます。

さて,私が尊敬する方のお一人に出口治明氏がいます。出口氏は,元ライフネット生命社長であり,現在は,APU(立命館アジア太平洋大学)学長をされておられます。なぜ,生活というテーマで出口氏を取り上げたかです。出口氏の生活は,2021年1月9日を境に変化したからです。出口氏は,福岡のホテルで脳卒中のため倒れたのです。そして,右半身麻痺と失語症の症状が残り,福岡の病院,東京のリハビリテーション専門病院,自宅での訪問リハビリにより,2022年3月下旬の1年3カ月かけて現場復帰されたのです。出口氏は,病気発症当初から「学長への復職」を希望していました。そして,具体的に,出口(2022:41)は,「講演が出来るようになりたい、一人で生活できるようになりたいと伝えた」としています。この内容は,とても明確な目標ですね。

当初,リハスタッフ(2022:108)は,「これだけ高い目標を持ってあきらめに姿勢の人をまだみたことがありませんでした」と述べているように,驚き,戸惑いがあったことが推察出来ます。

しかし,出口氏のリハビリに真摯に向き合う姿勢,落ち込まない性格・考え方,家族の支援により,リハスタッフは,言葉のリハビリに多くの時間を割く提案をし「全体構造法」という方法に関する学習を並行して行い,その方法でのリハビリに取り組んでいったです。また,出口(2022:175)は,「このリハビリの方法を学会で症例報告していくことで,他の先生方から助言を得た」としているように,患者と専門職が協働型支援を行ったことが推察されます。このような一連のリハビリの日々は,出口氏にとっては,長い道のりであったことでしょう。それを支えたのは,出口氏が歴史を含めた教養を身に付けることを大切にしてきた生日々の生活と感じております。

「美しい」の一言に尽きます。

最後に、出口氏の紹介されているマルセル・プルーストの言葉で締めくくります。

「真の発見の旅とは、新しいい風景を求めることではなく、新しい見方を得ることだ」を紹介しています。専門家,歴史から学び,その内容を実践していくこと,それが,人生であり,「生活」なのでしょう。

私たちには,日々,ロールモデル,学問から学び、教養を磨き,実践していくことで,他者の生活を支えるケア(介護)を専門性と人間力による伴走型支援へとつなげていくことが可能になります。

それぞれの美しい未来を❣創造するために。

介護(ケア)を学ぼう。

カンバック。生活を支えるために・・・

文献

出口治明(2022)『復活への底力』講談社.

松村明(1988)『大辞林』三省堂.

誤報。「鹿用介護ベッド開発に着手!」はガセでした!

4月1日に発表した鹿用介護ベッドの開発ですが,そもそも,そんな企画自体がなかったようです。

担当者が「らいん」と「はりー」に謝罪に行きました。

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担当者:この度はご迷惑をおかけしました。

らいん:なんか変だと思ってたんだよね。でもさ,そもそも俺ら鹿は高齢化してないし,藁のベッドで十分だから。

はりー:あまり気にしなくていいよ。

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ということで,介護福祉学科はヒトの高齢化によりよく対応すべく頑張ってまいります

 

 

介護福祉学科では,2023年4月1日に鹿用介護ベッドの開発に着手しました!

深刻な高齢化が進む鹿社会における課題解決の一助となることが期待されています。

安全かつ利用鹿にも介護鹿にもやさしい,鹿工学に基づく最新の鹿用介護ベッドの開発には,幾多の困難がありますが,高齢鹿とその家族の明るい笑顔を思い描きながら日々開発に携わっています。

鹿用介護ベッド開発に当たり,本学のアイドル「らいん」「はりー」を高齢鹿サポートアンバザダーとしてお迎えし,貴重なコメントをいただいています。

今日は,「らいん」「はりー」と私たちの開発会議での熱い議論の一部をお伝えします。

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司会:本日はお忙しいところありがとうございます。みなさんが理想とする鹿用介護ベッドについてお聞きしたいのですが…。

らいん:やっぱ,リクライニングだよね。人間みたいに高くされちゃうと首が痛くてしょうがねえんだよな。

はりー:そうそう。あと,あの,後ろ足のところ? なんか,びよーんって三角になるやつ? あれ,マジいらないんだけど…。あれって,意味ある?

司会:ああ,あれは,人間の場合,背もたれだけを持ち上げると滑ってしまうため,膝側も持ち上げる必要がありまして…。

らいん:だから,それ俺ら鹿には関係ないよね。俺ら仰向けになんないし。

はりー:あとさあ,頭んとこにある,板? 柵? みたいなの? あれ,何とかしてくんねえ? 角が引っかかっちゃうんだよね。

司会:試作品は,人間工学に基づいた設定となっておりまして…。やはり,やはり細心の鹿工学が重要になってくるというわけですね…。

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議論は尽きないようですが,明るい高齢鹿社会のために介護福祉学科はこれからもがんばります!

 

新連載! むちゃぶり企画最終回「どうぶつ」

2022年の終わりに・・・

皆さんこんにちは

K先生よりバトンを受け継ぎまして,今年最後の介護福祉学科のブログでございます.

2022年も残すところわずかとなりました.

皆さまにとって2022年寅年はどんな一年でしたでしょうか?

どんな困難にも強い気持ちで立ち向かえるような,

気持ちが沸き立つような,感情が高まる時はありましたか?

新しい歳は卯年.大きな耳でまわりの情報を素早くキャッチして,

少しずつでも確実にぴょんぴょん!と前に進んでいける一年にしたいものですね.

介護福祉学科の学生たちは年明け1月の終わりに介護福祉士国家試験をひかえています.

皆がそれぞれの持っている力を最大限に発揮できるよう,私たち教員も一丸となって

学生たちを応援していきたいと思います!!

このブログにご訪問いただきました皆様,どうぞよい新年をお迎えくださいませ

また,来年お会いいたしましょう!!

新連載! テーマむちゃぶり企画 第6回「煎餅」

今回のお題は「煎餅」です。
「煎餅」、パリッ・サクッ・バリッ・ボリッ・・そして良い香り・・と、思い浮かべます。食べ物以外で思いつくものに、煎餅布団があります。煎餅布団(デジタル大辞泉)は、入れ綿の少ない、薄くて粗末な布団、長年使ってぺっちゃんこになった布団という意味など(諸説あり)で「煎餅」が使われています。あまり良い例ではないことが多いです。  ところで、食べ物の「煎餅」、ひらがなで「せんべい」は、日本全国で多くの種類があります。1つの分け方として、関西では、「せんべい」と言えば小麦粉で出来た「(甘い)せんべい」、関東ではうるち米を原料にした醤油味のものが、「せんべい」と呼ばれていましたが、最近では、その違いがあまりみられないとも言われています。実際、生まれも育ちも大阪の友人は、「煎餅とは、お米でできていて練って蒸して焼いてお醤油つけて・・大好き!!」と話しています。
東大阪出身の高齢者が「最近せんべいを食べていないわね。たまには食べてみたいわね。」
というせんべいは、どちらかな、どちらもかな、関東出身の高齢者は・・・そうすると、
関西の人がイメージする煎餅布団と関東の人がイメージする煎餅布団は、違っているのか
なーと思いつつ、高齢者の方との会話は、自分の知らない景色を見せてもらえる楽しい時
間でもあるのかなと思う今日この頃です。介護は、自分の知らない世界を教えてもらえる
授業料の要らない先生であるといえるでしょう。
さて、次のお題は、「動物」です。素敵なI先生、よろしくお願いいたします。

引用 デジタル大辞泉:https://kotobank.jp/word/%E7%85%8E%E9%A4%85%E5%B8%83%E5%9B%A3-551228
参考 其角せんべいホームページ:https://www.kikaku-sembei.co.jp/gallery/different/

新連載❕ むちやぶり企画第5回「日常」

 

新連載!テーマむちゃぶり企画第5回「日常」

今回のテーマは、「日常」です。

大辞林によれば「日常」は、「ふだん、つねひごごろ(松村、1988ː2076)」としています。物や洋服では、ふだん使い、ふだん着と言いますね。それに対して、ハレの日、ハレ着となります。つまり、表彰式の場面など非日常の場面やそのような場面での洋服となります。このことを福祉領域に繋げると足立(2005ː3)のいう「共生」に繋がると言えるでしょう。足立は、「『共生』を仏教思想の基本を示す言葉の1つであり、その意味は、仏教思想の『縁起観』、すなわち、すべて存在するものは、縁に由って存在するものであり、すべては因縁会遇の結果であって、一つとして固体的な存在はない、という考え方に裏打ちされた言葉である」としています。そういう意味では、日常は、過去の日常、これからの非日常を含め、他者とのかかわりのなかで生きていることを再認識させると言えるでしょう。人は、ご縁のなかで活かされていることになります。ともに生きるとは、足立(2005ː3)の言うように、「空間的、時間的」な意味があるという見解に納得がいきます。

このような考え方は、最終的には、「for him(彼のために)ではなく、Together with him(彼と共に)(2005ː3)」の考え方であり、糸賀一雄が言った「この子らに世の光」をではなく、「この子らを世の光に」の思想に共通しています。私たちは、利他的に生きることをつい忘れ、利己的になってしまい、排除の論理で行動する場合があります。

しかし、日本には、季節があり、お墓詣りといった習慣があります。このような紅葉、クリスマス、お正月、寒さ、先祖との対話になかで日常の景色が変化するのです。介護、社会福祉は、そんな日常が病気、怪我、災害、困窮することで、クライエントの生活が変化するのです。福祉専門職には、そのようなクライエントの苦悩、苦しみ、虚無感にどのようにかかわるのかが問われるわけです。

 

支援では、知識・技術が重要です。

しかし、それを支えるのは、福祉観、人間観、福祉マインドです。私も含め、人間は、フロムの言うように未完の存在です。人とのかかわり、ご縁を頂き、お芝居、小説に接するなかで、疑似体験、追体験をし、他者の日常を感じることで福祉職に必要な気づきのアンテナを磨くことに繋がります。クライエントの日常の景色に彩を添えられるような、心と心を通わせた介護は、科学的介護との融合のなかで、創造的に再構築していきたいものです。

皆さん、日常の生活の中に、非日常の時間を組み込んでいきませんか。

具体的には、朝夕の通勤ルートをちっと変えるだけで、道端の草花に出会い、心がやすらぎ、季節の移ろいを感じることになります。日常と非日常は、重なり合って化学反応が起こし、人生が豊かになる気がします。

 

文献

足立叡(2005)『新・社会福祉原論』株式会社みらい.

松村明(1988)『大辞林』三省堂.