「私が北アルプスの登頂を目指していた頃」

私は、小学生から、大学生・社会人まで陸上競技に打ち込んできました。人よりもとても体力があると思っていました。例えば、1分間の脈拍も40くらいで、肺も心臓も丈夫だと、どこか自信を持っていました。大学を卒業してパナソニック(株)に入社し、日々12時間以上、猛烈に仕事をして、土日も都市銀行や総合商社のメンバーと経営・財務・外国為替などの勉強に打ち込んでいました。きっと、タフでした。。。

講義でも少しお話しましたが、そんな元気だった私は、30歳のときに倒れました。介護の授業で勉強したと思いますが、脳梗塞です。手術そしてリハビリもしましたが、左半身に麻痺が残り、身体障害を持つことになりました。そのときの私は、これから先どのようになるのか、不安ばかりでした。

ある日、思い立ったのです。2年間、車いすで生活していた私が、(小学生の頃から両親に連れて行ってもらっていた)信州の北アルプス登頂に挑戦しようと決めたのです。左半身に麻痺があり、肺や心臓の力が弱っている状態で、標高3000メートルの北アルプスに挑戦することは無謀な決定でした。けれども、私は、命がけで挑戦すると決めて、(中学生のときからの)親友たちにお願いして、10人ぐらいのパーティーを組んでもらい、北アルプスの白馬岳登頂のプランをたてました。約1年間のトレーニングを続けて、ようやく白馬岳アタックの当日が来ました。連続歩行ができなかった私は、それまでのトレーニングから、30歩歩いて3分休憩の登山スタイルを考えました。パーティーの仲間たちは、山中でも、私の傍らでじっと静かに待ち続けてくれました。その後、三年間で3回チャレンジをしましたが、いずれも途中で断念・下山をしました。それでも、あきらめることはありませんでした。仲間たちは、こんな私を認めてくれて、励まし続けてくれました。

チャレンジして4年目の夏でした。同じパーティの仲間たちとともに、白馬猿倉ベースキャンプを午前3時に出て、白馬岳山頂に向けてアタックしました。足を引きづりながら、白馬大雪渓では何度も滑りながら、一歩一歩黙々と登りました。登山中も、沢山の方々から応援の声かけを頂き、勇気をもらいました。そして、約15時間をかけて、遂に、白馬岳山頂に立つことができました。

人からすれば、無謀なチャレンジだったかもしれません。それでも、その時の私にとって、このチャレンジには大切な意味があったのです。自分を取り戻すためのチャレンジ、自分というアイデンティティ(自己証明)のためのチャレンジでもあったのです。白馬岳山頂に立つまで、日々、リハビリテーションとハードなトレーニングを続けてきました。自分と向きあいながら強い意志を持ち続けてきました。トレーニングを続けることによって、きっと成し遂げることができる、と自分を信じてきました。「成功するまで続ければ、必ず成功する」、今も、これが私の座右の銘になっています。皆さんも、苦しくても、辛くても、チャレンジできることに幸せを感じながら、今を過ごすこと、これは生きていく上で、とても大切なことだと思います。

もう一つ、皆さんにメッセージを送りたいことがあります。私が、障害を持ちながらも、念願の白馬岳山頂に立つことができたのは、どのような状況においても、常に私のそばにいてくれて、私を支え続けてくれた仲間たちのおかげです。彼らがいてくれたから、私は成功することができたのです。人を支えるとは、その人のことを信じて、ずっとそばに居続けて、ともに歩みながら、そして勇気を送り続けることです。

私たちは、白馬岳山頂から無事に下山して後、栂池キャンプ場で盛大な登頂成功パーティをしました。私は、今もずっと、仲間たちのことを心から感謝しています。そして、今も、私たちは親友です。。。

あずさ